「檀家(だんか)」という単語は、昔は非常によく知られた言葉でした。
家は寺院に属し、その寺院を助け支援するという考え方があったのです。
江戸時代には法律として整備されており、家は必ずどこかの寺に所属していました。
現在でもこの考えは、マイルドになったものの残ってはいます。
「檀家としてどこまで活動するか」は人や家、お寺によって変わり、宗教活動を助ける積極的な檀家もあれば、「法要のときや葬儀のときだけ、特定のお寺にお願いする」としている檀家もあります。
昨今ではこの「檀家」の意識も薄れてきており、檀家を辞めたいと考える人も増えています。
今回は、この「檀家をやめること」について、そのメリットとデメリットについて触れていきます。
現在の檀家制度について
上でも述べたように、現在も檀家として積極的に活動している人もいます。
しかし一方で、「自分の菩提寺がどこかもわからない。親の葬儀にあたって初めて調べ直した」「知らないわけではないが、法要や葬儀のときにしか連絡をとらない」という人も増えています。
また、檀家がある場合であっても、そこのお寺にお墓は作らずほかの霊園などにお墓をたてる人もまれにいます。(トラブルになる可能性が有ります)
檀家制度は、江戸時代にキリスト教を弾圧するため宗教統制の一環として寺請制度を設けたのが始まりといわれています。
当時は、だれもがどこかのお寺の檀家にならなければならないと決められていましたが、現在ではこのようなことはありません。
特に、若い人ほど檀家としての意識も薄く、菩提寺に対しての感情も薄い事が多い印象があります。
檀家をやめたいと思う理由
このように檀家と菩提寺の関わりが希薄になっていくなかで、「檀家をやめる」という選択肢を考える人も増えてきました。これはこれで、決して間違っている考え方ではありません。
檀家を続けるということは、主に金銭的な面で菩提寺を支えるということにほかなりません。
葬儀や法要におけるお布施はもちろんのこと、菩提寺を修繕したり維持したりすることにもお金がかかります。
お寺は檀家からの寄進で成り立っているところも多く、護持(大切に守り保つ)会費という名目で、法要などのお布施以外の維持費がかかる寺院もあります。
本堂の建て替えやその他施設の建造などが必要になった場合は、さらに出ていく金額は大きくなります。
現在は「お布施の透明化」も進んでいることも、檀家をやめる人が増えた理由となっていると考えられます。
お布施の金額がわからないため直接確認すると「お気持ちだけでかまいません」と建前上は言いますが、『少なければ不満』で『多ければラッキー』と思うのがお坊さんの本音です。
一般的な家庭で、お布施や寄付は大きな経済的負担となっています。
また、菩提寺に対して不信感を一度でも持つと、住職の全ての言動がお金儲け主義と感じてしまう檀家が多いようです。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』という状態です。
『住職が信用できない』『お布施の金額が不明瞭で高すぎる』と考える人などにとっては、これもまた、檀家をやめることの理由となっているでしょう。
檀家をやめることのメリット
檀家をやめるメリットとして真っ先に上がるのは、菩提寺に護持会費等を支払う必要がなく、経済的な負担がなくなるという点です。
また、まれにではありますが、「前の住職は良かったが、後を継いだ住職と相性が悪かった」ということで檀家をやめることを希望するケースもあります。
昔ほど宗教者が絶対的な存在ではなくなった現在において、「粗雑な対応をされた」ということは、人によっては檀家をやめる理由の一つになりえます。
その様な気の合わない住職等の寺院関係者と、今後は会わなく良くなるという事も場合によっては、メリットと言えると思います。
関連記事:お布施の金額相場の目安表|葬儀・法事・納骨・彼岸・お盆
檀家をやめるデメリット
一方、檀家をやめることにはデメリットもあります。
当たり前のことですが、檀家をやめるとそこのお寺には供養をお願いすることができなくなります。
四十九日法要や百箇日法要や一周忌法要などの回忌法要も頼むこともできませんから、供養を行うときに不便さを感じることになるでしょう。
また、菩提寺にお墓がある場合、そのお墓をどうするかという問題も出てきます。
お墓を移す(改葬)場合には改葬許可書が必要になりますし、手間と時間をかけて新しい改葬場所を探さなければなりません。
関連記事:改葬の費用と手続きは?田舎のお墓引越し手順とお布施相場
他の墓地に新しくお墓を建てて改葬を行い、離檀する寺院の墓地を撤去するとなると、300万円以上の出費となることもあります。
また、高額な離檀費用を請求されるというケースもあります。
離檀することにより、『改葬(お墓の引っ越し)にかかる費用』『離檀料』等の高額な費用が発生する事がデメリットと言えるでしょう。
他にも、人が生きるうえで指針となる仏教の教えを学ぶ機会の一つが失われる事も大きなデメリットだと感じます。(学ぶ気になれば全く関係ありませんが、学ぼうと思うきっかけになるかも・・)
- 諸行無常
- 一切皆苦
- 諸法無我
- 涅槃寂静
仏教の基本的な考えであるこれらは、人生そのものであり、心の安定には大切な考え方だと著者は思います。
まとめ
「年中行事として、子どもに墓参りの習慣を教えておきたい」
「檀家の立場を通して、ほかの檀家の方々との関係を築いてきた」
という人にとっても、檀家をやめるというのは大きな決断となるでしょう。
「今は地元から離れているけれど、将来的には帰って来るつもりだ」と考えている場合は、特に檀家をやめる影響は大きいといえます。
「檀家をやめること」も「檀家を続けること」も、どちらが正解でどちらが不正解ということはありません。
この決断はその人が持つ宗教観や地域コミュニティへの考え方、また経済的理由によって大きく左右されることだからです。
極端な例で言えば、「親は仏教徒だったけれど自分はキリスト教徒だ。
海外で住んでおり、日本に戻って来ることもない」という人は檀家を続ける理由はないでしょう。
対して、「経済的負担はたしかにあるが、地元でずっと育ってきたし祭祀継承者もいる。親は敬虔な仏教徒だった」といったケースでは檀家を続けるのに相応の理由があると判断するべきでしょう。
いずれにせよ、檀家をやめるかどうかの判断は慎重にしなければなりません。
家族や親戚はもちろん、場合によっては檀家仲間にも相談して塾考したうえで決めましょう。
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